わたしは、植物療法士であり、企業でも働く人間であり、また夫をもつ妻という立場でもある。
かたや、夫はフリーランスという立ち位置なので、常日頃から、双方の立場での視野から社会をみる環境に生きている。
先日、労働者に対しての対応に公平性がなく、どんどん崩れていく組織環境や周囲の身体的な体力問題が収まらないことを受けとめて、あまりにも変わらない企業体制に働く個人として覚悟をもって厳しく意見をした。
もちろん、意見をしているのはわたし一人ではない。
一つは、上層部が周囲へのケアをまったくできていないから、みんなが社に対して信頼も信用もできていない、その失敗をどう取り戻すのか展望を聞かせてほしい。という点だった。
すると、後日、直ぐに全体へのフィードバックがされ、これまでとは違う風が吹いた。
といっても小さな変化ではあるのだけれど、スタッフの一人が「こんな風に全体へ意志(回答)を伝えられることは今までなかった」ともらした。
そう。わたしが訴えたのは業務改善などの問題は多々あれど、一番よくないのは「部下へのケアをサボっているから、チーム全員納得していない」ということだった。
ここのところ、世間をにぎわしている吉本興行の問題もそうだが、信頼と信用とはいったい何なのだろうか?
これは、組織だけでなく、身近な家族としての組織でも同じことが言える。
今日は、自分自身が毎日接している夫婦という一番近い関係の中でどうやって信頼だけでない信用をつくっていけるのかを振り返ってみた。
わたしたちの結婚とは、たとえ傷ついても、その傷を受け入れて生きていける覚悟のようなものだった
夫はいつも人のことを「信用」していない、と言う。
たとえば経営者からはよく聞く言葉で、相手を信頼して預けたり、任せたり人を信じないと仕事にならないのだが、その信頼が裏切られることも社会では起きるので、信頼はしても信用はしないというスタンスでやっている人が多いということに似ている。
夫はトランペッターという表現者であり、会社経営をしているわけではないけれど、仕事以外のプライベートも含めこの考えが及んでいて、基本的に人を信用していない。
信用するためには自分を開示することが不可欠で、その分、傷つく可能性も高いからなのだろう。
ただ、極論、人は一生ひとりであり孤独なのだという見方はあっても、近しい人たちや特に家族は信頼もして、信用もするという関係を構築できなければ、本当の安らぎや安心は手に入らないと思うし、仕事上でも信頼と信用ができるパートナーがいるにこしたことはないと思う。
信用していない人と結婚するって、ないでしょ?って思うんだけど、あいまいな人がとても多いのではないだろうか。
相手が失敗をしたときに、自分も傷ついたからといって、同じように相手を傷つけたり、裏切ったりする関係になってしまっている場面もあるわけで。
コンビを組んでいる芸人さん同士も信用でつながっている人たちが多いように思う。
結婚の決め手は夫に対して「生き抜く力が強いから」というものだったのだが、今思うと、もっと重要なのは、結婚前の段階で、信用関係が作れたことが大きい気がする。
わたしは元からアーティストである本人にとって、もっとベストであって一番魂が輝く生き方、表現する場はどんなものなのだろうか、ということを恋愛感情と関係なく考えていたので、意見をストレートにぶつけることも多かった。
そこで、ぶつかりあって終わってしまうことも十分にあったのだと思うが、彼はそれを何度も受けとめて向きあおうとしていた。
正直な気持ちというのは、相手を傷つけるリスクがあるが、それでも本当にその人のことを考えたら言うべきときがある。
それはお互いにとって、弱さを出してもよいと思える存在だからこそだ。
向こうは、今まで自分の本音を表に見せるつきあいはして来なかったそうで、わたしが本気でぶつかってくるから、それに対して「わかりたい」とも思うし「違う」とも思うようになったのだと言う。
きっと、こちらの根底にある想いが伝わっているからこそ信用したいという気持ちを行動で示してくれていたのかもしれない。
いつも相手への伝え方に気をつけている繊細な面がある彼からすると、自分が傷ついてもそれを受け入れる覚悟をもった行動をずっとしてくれていたように思う。
実は、このお互いの信用につながる会話のキャッチボールをわたしたちは結婚前からかなりの回数重ねている。
たとえ傷ついても相手を想ったベストを伝えつづけることは、簡単なことではない。
でも、いつも向きあうことから逃げないこの人となら、自分もリスクを取っても生きていける揺るがない「信用」があった。
その飛び込んでもいいと思える覚悟をもてたから、結婚につながったのだと思う。
結婚に興味がなかったパートナー。形よりも大事なのは、お互いを受けとめられる関係づくり。
もともと、つきあい始めた頃から、お互いに結婚は意識していたのだけれど、今、思い返すと、わたしたちの結婚は周囲が思っているほど、スムーズなものではなかったと思う。
というのも、夫はもともと結婚という形に興味がなかったし、今でもそういう考えの持ち主だ。
紙切れ一枚の世間体な制度にも興味がなければ、苗字も夫婦別姓でいいじゃないかと以前から言っていた。
縛られるのが嫌だとかそんな表面的なことではなく、そこに意味を感じていないと言う。
自分たちの意志で一緒にいたいから一緒に過ごすし、暮らすし、子供がほしいとも思う。
めんどうな手続きなら、名前を変える必要もない。今まで生きてきた苗字のほうが音の流れ的にも綺麗なのに無理やり変えなくていいのでは、という感じだ。
結婚式にも、結婚指輪に対しても同じような考え方で、とにかく何も考えずにステレオタイプで生きることを嫌っている。
逆にわたしは、そこまで自分の姓にもこだわりはなかったので、家族や将来的な子供のことなど、多方面から考えたときに、べつに事実婚を押しとおすほどのメリットもないだろうと思っていた。(もちろん新姓への変更手続きは本当にめんどうなのだが....)
だから、その考えのズレを話しあって自分たちの着地点をうまく見出せたわけでもなく、そこには一定の時間がかかった。
でも、先々のことをトータルで考えて結婚の方向にすることで話を進めていったときに、まず1年同棲をして、その暮らしの中でしっかりと向きあってお互いにたくさん傷つくことを経て、受けとめられる関係を築けたことが今のわたしたちの夫婦関係を支える重要な経験になっている。
家族から逃げていた20年をうめるには、自分の筋を通す生き方をもう一度相手に見せること
こんな風にいろいろと結婚前は言っていた夫だが、二人で生きていくと決めた結婚後、一番変わったのは、周囲との人間関係だと思う。
姉、夫、弟の3人と両親の5人家族で、 お義父さんは会社員だった方なので、彼一人が音楽の道で生きてきて、実は音楽を仕事にした20代前半の頃から都内であるにもかかわらず、ほとんど実家に帰っていなかった。
お義父さんがライブに足を運んでくれたのはこの仕事についてから10年後と言うし、そんな話ばかり聞かされていたわたしは、どれだけ家族とうまく行っていないのか、正直不安を抱えながら夫の実家へ挨拶に行った。
いざ、夫のご両親にお会いしてみると、「あぁ、ただ一人だけ家族に対してひねくれていたんだな」と...(笑)
想像とはまったく違う良い家庭で、なんだかほっとした。
本人の中で、たとえ家族であっても、大小はあれど信用ができない経験があったりすることを引きずってしまうのは、そんなにめずらしいことでもない。
わたし側の家族でも父と兄の間に若干確執があり、解けるまでは一定の時間がかかっている。
でも、お義母さんは、やっぱりどこか、ずっと淋しかったのだと思う。
「こうやってね、ふたりのお嫁さんが間に入ってくれて、また家族が集まれるきっかけができたことがとても嬉しい。本当に良かった。」
そう話すのは、お姉さんは結婚して2人のお子さんがいるけれど、弟さんと長男である彼の結婚はほぼ同じタイミングだったので、一気に家族全員での集まりが増えるようになったからだ。
お義母さん方の実家は畳屋さんをやっており、夫の叔父さん家族が営んでいて、その地元のお祭りに行き、結婚の報告をしたときもそうだった。
叔父さんは、お神輿を作っている根っからのTHE下町人間というキャラクター。
夫が帰ってくると聞いて、ずっと待っていて、着くやいなや直ぐに行きつけの居酒屋や連れて行かれ、こんなに長い間、音沙汰がなかったこと、とても心配していたこと、会いに来てくれて本当に嬉しいこと、夫と夫の弟がまだ赤ちゃんだった頃にお風呂に入れて、どれだけ可愛がっていたかということなど、町内会で昼から飲んでいる酔った勢いにまかせ、その会話が延々とエンドレスループ...。
彼も、これまでどんな風に生きてきたか、思っていたのかなどを話すものの、ほとんどスキがない。
周囲は商店街の知り合いだらけなので、「こんな叔父さんができて大変だねぇ!」なんてケタケタと笑う言葉が飛び交う(笑)
本当は、ものすごく愛されているのに、自分の家族にも親戚にも距離をおき、多くを信用せず、コミュニケーションを取らずに生きてきた夫。
筋を通すというのは、相手のために「顔を見て本音を話す」ことでもあるのだということが痛いくらいに伝わってきた。
音楽の世界で生き抜くには、それだけ一人で離れないとできない部分もあったのかもしれないが、溝というのは、当人同士が本音で正直に向きあうことでしかうめられないのだと改めて感じられた時間だった。
コミュニケーションから逃げない覚悟があれば、未来は拓ける
ビジネスの場合なら、表面上では「信頼」だけで仕事ができても、家族間はそうもいかない。
仕事では失敗しても、くやしさをバネにしてまた次の挑戦ができるのに、リアルでプライベートのこととなると深い関係をつくれていない人も多い。
恋愛で傷つくとつぶれてしまうからぶつかる前に防御線をはっておく...家族とうまく関係をつくれていないから割り切っている...みたいな感じだったりと。
それは、仕事とは違って、もっと深く踏み込んだコミュニケーションが必要になるからだろう。
わたしは夫婦の関係において、相手と本気で向きあう覚悟が足りないと信用を積み重ねていけないと思っているので、個人として向きあうことに注力して深い関係を築けるように意識している。
パートナーシップ論とか、その人の性別でこういう思考回路なんだという枠組みにあてはめて相手を見すぎると、相手が自分自身を見てくれていないように感じられるリスクがあるからだ。
性別の適正や役割などの考え方は頭の片隅程度にしないと、実際、もめごとが起きたときに「女性だからわたしはこうで...」と言う考えがつい先に出てしまう。
男女の型や他の夫婦のパターンにあてはめてしまい、目の前にいる個人 対 個人として相手を見れなくなるので、結果、ふたりにとってのよりよい最適解は生まれないし、相手から気がそれた時点で、言葉はストレートに伝わらなくなる。
夫は、これまでは家族との会話をさぼってきた人生だったかもしれないが、その分、音楽業界の中でずっと戦ってきているのを知っているし、わたしとの関係の中でコミュニケーションをとることから逃げたことは一度もない。
そう思い返すと、とても大きな変化だったのだと思う。
穏便に済ませようと会話をさぼらずに、リスクをとってもベストである道をいっしょに考えていくことが、信用を重ねる人間関係を育んでくれる。
それは、この夫婦関係の中で気づけたことだ。
だから、わたしは弱さを受けとめながらも目の前のものから逃げずに、筋を通して生きていく強さを、どんな場面でも忘れないでいたい。
竹内 亜希子 Akiko Takeuchi
-植物療法士(フィトセラピスト)
-女性の健康経営推進員
-健康経営エキスパートアドバイザー
幼少より10年間シンガポールで暮らす。
帰国後、会社員として働く中で余白時間を奪われる社会の渦に揉まれ、20代半ばに坐骨神経痛を一年患い、根本改善のためにストレスケアにフォーカス。食生活改善と植物療法を実践し、3ヶ月で完治。
植物療法士として、働く世代の女性の心身のセルフケア、ストレスやホルモンバランスの体の変化をコントロールできる体質づくりを指導。
オリジナルハーブティーブレンド 販売、カフェ等の店舗向けオリジナルハーブティー商品企画・提供、大切な人とのヘルシーな時間を追求するカルチャーメディア『Documentary Gift 』を運営。
現在は、ヘルスケア企業にて、健康保険組合や企業に向けた生活習慣改善プログラムの提供・運営や健康経営推進、中でも女性の健康づくりに注力。
働く女性にとっての「からだにいい生き方」や予防のための「セルフケア」を継続する暮らしのつくり方を伝えている。
趣味:日々の楽しみは、心打つライブと毎日調合するハーブティー、そして家族と食卓を囲う時間。