あなたは最近、自分にとっての新しい良い曲と出会っているだろうか?
1983年生まれのわたしは、10代、20代の頃は、音楽番組やクラブイベントなどで、アンテナを高くして、たくさんの音楽を探していた。
iTunesでお気に入りのプレイリストをつくっても、繰り返し繰り返し聴いていると、いつも「今日聴きたいと思う曲がない」「曲が足りない」「曲がほしい」という、感覚。
思い返してみると、すきなアーティストの新譜発売情報をチェックしたり、いつでもどこでも、どんなときも音楽を聴いていたし、渇望していた。
30代になるにつれて、その感覚はどこに行ってしまったんだろうと思う。
音楽をすきな気持ちは変わらないし、今でも新しい良い曲と出会いたいという想いはあるのに、がむしゃらに探している渦中にはもういない、という感じなのだ。
どうやらそれは自分だけではないことがわかってきて、音楽体験の先に何を大切にしたいと思っているかも見えてきた。
安心感の心地よさにうもれていく中で、ふと感じるたいくつな感覚。
以前、音楽好きの男友達に「最近のおすすめの曲はある?」と聞いたとき、「もう何年か同じプレイリストをずっと聴いてるんだ」と言っていたことを思い出した。
かつては、仲間とワイワイ車で遊びに行きながらたくさん好きな曲をかけていたし、いっしょにライブに行ったこともある。
学生時代の自分は、趣味が似ていた友人の彼からたくさんの音楽を教えてもらったのだ。
自分自身も、25~26歳頃をピークに積極的な新譜探しはしていないし、ストックのお気に入りを何度も聴いていることは多い。
聴き慣れた古い音楽をリピートするのは、楽で心地よい安心感があり、変わらず幸せにしてくれる。
ただ、そういったお気に入りは、聴きすぎるとどこか物足りなさを感じ始めることもあるだろう。
音楽以外でも、人生経験をしていくにつれ、慣れ親しんだものが楽だという安心感が生まれていくもので、それがルーティーンワークになると変わらない毎日はとてもたいくつに感じてくる...。
会社員なら、「毎日自宅と職場の往復をし、休日には友人や恋人と会い、たまに趣味を楽しむ」その平凡な日々の繰り返しが、つまらなく思えてくることがあるように。
この期間が長くなれば長くなるほど、仕事やプライベート、いろいろな場面で新しい環境に身をおき変化をすることへの足が重くなっていく。
「新しいもの」を知ること、やってみることは刺激的であり、チャレンジングだからだ。
これは新しい=良い・古い=悪いと思ってしまっている先入観も関係している。
そうではなく、好きなものや自分にとって新しく発掘したものを自分の目で見て、動いて、その先の景色を知りにいくことが大事なのだと思う。
たいくつな毎日から抜け出すには、大切な人といっしょに昨日よりも今日、今日よりも明日と「楽しい」「うれしい」と幸せを感じる暮らしを送るために、好きだと感じるものに対して、流されてあきらめずに小さな行動を繰り返すことが必要なのだ。
ほとんどの人は30歳になるまでに、新しい音楽を探さなくなるという件。
イギリスのストリーミング・サービス Deezerがリスナー1000人を対象にした調査で、20代の後半から平均して30歳6ヵ月から新しい音楽を購入しなくなる音楽的無気力とも言える現象が起きていると発表している。
▶新しい音楽を探さなくなる年齢について調べた調査結果が明らかに
理由は、世の中の音楽の量が多すぎることや仕事の忙しさ、子育てなどさまざま。
調査では新しい音楽を発見する探求心がピークを迎える年齢は24歳頃で、この年齢の75%の回答者が週に10曲以上の新しい曲を聴いたと答え、また64%が毎月5人の新しいアーティストを探していると答えている。
さらに、60%の人は普段聴いている同じ曲を何度も聴いているだけであり、25%は自分が好きなジャンル以外の新しい音楽を試してみることはないそう。
....国によっても違いはあるだろうし、日本人ともイコールではないけれど、わたしたち自身もすでに肌で感じているのではないだろうか。
web検索や楽曲ダウンロード、ストリーミングサービスが当たり前となっている今、簡単に情報やモノが手に入るので、がんばらなくても自分のプレイリストには新しい音楽が溢れている状態をつくれる。
音声ファイル共有サービスのサウンドクラウドで毎日新しい曲を聞いていたとしても、垂れ流しになりやすく、曲名やアーティスト名を全く知らないということだってよくある。
似たような曲を自動的に知らせてくれるし、昔ほど主体的に一生懸命プレイリストをつくるという感覚がなくなっているのだ。
そして、年齢を重ねていけば子供が生まれたり、より幅広く仕事をしていくなど、ライフステージの中で大きな選択をすることが増えていくため、一気に「時間」が有限であることを体感していく。
だからこそ、音楽をふくめた若い頃から費やしてきた趣味よりも、目の前にいる大切な人との時間を優先する傾向が強くなるものじゃないだろうか。
10年前も今も「流れている楽曲を知りたい」とshazamを使いつづけるのは、好奇心と人とつながる楽しさを満たせるから。
20代のピークを越えて音楽を積極的に探さなくなった人が多いとはいえ、流れていて気になった曲はその場で知りたいと思う意欲が変わらないのは、shazamの変わらない人気からわかる。
音楽認識アプリshazamがローンチされてからもう10年以上経つ。
「どんなに騒がしい場所でも人々の背後で流れている楽曲情報を知ることができる、簡単な分かりやすいサービスを作る」というアイデアがきっかけで生まれたshazam。
もとは「2580」をダイヤルし、自由に好きな音楽を流すと30秒ほど経った後に電話が切れ、曲のタイトルやアーティスト名が入ったSMSメッセージが届くという音楽認識サービスだった。
あらかじめshazamのデータベースに数百万件以上の膨大な楽曲情報が登録されており、音楽の特徴と一致するかどうかを判断して楽曲やアーティスト名を割り出すという仕組み。
この根幹技術をベースに認識精度やデータベース強化などの改善が積み重ねられ、現在に至る。
知りたい!と思った曲をshazamにかけてもヒットしないこともあるけれど、それでもほとんど網羅していて不便さは感じないところがすごい....。
そのポテンシャルの高さから、2017年12月、Appleに買収され、iTunesとの連携強化やAppleが提供するSiriにも組み込まれ、音楽を楽しむための利便性がどんどん上がっていくことに。
楽曲ページやアーティストページでフォロワーと関係構築ができたり、shazamで曲を認識したらYouTubeやApple Music、Spotifyへ接続し、動画やフル尺の曲を楽しむこともできる。
もちろん今の気持ちを音楽とともにTwitter、FacebookなどSNSでシェアすることも可能だ。
進化をし続けるshazamがアプリストアのランキングをこれだけの長い年月、上位を獲得し続けているのはなぜだろうか?
それは、メイン機能である「周囲に流れている曲を判別したい」というユーザーの基本ニーズに応え続けていることはもちろんのこと身近な友人たちにシェアできる「体験」の提供をしていることにある。
個人の中で生まれる「見たい」「聴きたい「知りたい」といった好奇心だけでなく、「誰彼かまわず話したい」「仲間とその場にいたい」という一連の感情の流れにも寄り添っていること。
わたしたちは、空間や人などその場のムードを通して、目に見えない音楽を大切な人と記憶に残る体験としても楽しんでいるからだ。
音楽体験を継続させるために最高の環境を提供してくれているshazamは、友人や家族との特別な時間を楽しく過ごすために欠かせない存在となっているのである。
何歳になっても、先入観をもたずに普段閉じている耳を開いて、自然と見つける音楽の世界。
街中やレストランなど、外にいるといろんな音が大音量で同時に鳴っている。
車の音、人の話声、広告CM動画、広告トラック、踏切の音、サイレンの音...。
でも、全部の音は耳に入ってきていない。
それは頭がおかしくならないように、耳が情報を遮断しているからだ。
わたしたちは日頃、環境からの情報が意識に入る際に情報の取捨選択を行い、脳が必要でない情報を自動的に分けてフィルタリングしている。
都会にいると、静かな田舎よりも耳を澄ます環境は少ない。
「流れている曲を知りたい」と思う、アンテナに引っかかってこないときも多いのだ。
そこでおすすめしたいのは、好きな場所へ行ったときに「耳を開く」意識をしてみること。
以前に、19歳の青年といっしょにジャズライブに行ったときのこと。
彼は、音楽というものをジャンル問わず「音楽」として 聴こうとしているスタンスがあり、30~40代の聴き方よりも ピュアだった。
たとえば30代は今まで自分の中でもっている音楽の情報があり、その中でどこかでジャンル分けをしている。
自分の中にストックされた音楽に近いものは聴こうとするし 、遠いものは聴かないようにしようとする傾向が強い。
それは、情報量でジャンルが確立しやすいからだ。
20代でも当然そういう聴き方をする人はいるのだが、彼の場合は「クラシックはこういうもの」 「ジャズはこういうもの」という概念に囚われておらず、"これはこういうもの"とジャンル分けをしない、もっとピュアな聴き方をしていた。
本人の中では大まかに「こんな感じのものを聴きに行こう」と 想像はしているけど、それとは全く 違うスタイルの知らないものが目の前にやってきた時にも、こんな反応をする。
「へぇー、こんな音楽、演奏、アレンジがあるんだぁ。
いや面白いねー!」
今自分がいる環境の中で 一個一個、瞬間瞬間の情報を漏らさないように、「吸収できるものは吸収しよう」というハングリーさとピュアなスタンスが 合わさって、素で楽しんでいるのが伝わってくるのだ。
30代に入ると、今まで聴いているジャズと今聴いているジャズの区分けをして聴く人が多く、その分、集中力が薄くなる人が増える。
だからこそ、先入観なしに物事を見れる、聴ける人は、音楽に限らず一挙一同、ひと事ひと事を 吸収するスピードが人より早い。
これは情報が溜まりすぎていない、20代にしかできないことでもあるが、未知のものを受け入れるスタンスをもつことによって状況はいくらでも変えられるので、まずは先入観をはずす意識をすることが大事なのだと思う。
わたしたちの欲求の先にあるシェアする時間
わたし自身も30代になり、ピュアな気持ちで新しい音楽を探したい欲求だけでなく、大切な人と楽しくライブを観たときのことや良いBGMのお店で夕食を食べたときなど、その場の気持ちをシェアしたときに感じる、その先の価値を求めているということを体感的に感じていくようになった。
そうやって、自然と空間にいる人やモノ、雑音とともに音楽体験をしていくと、その場所や人に対する居心地の良さもふくまれた音楽の余韻に浸りつづけることができる。
家に帰ってからも「あの人と話したい」「仲間とその場にいたい」という感情が残っている。
人々の欲求の先にあるものは、誰とともに体験して、どんな場で共有するかということ。
ーあのとき、一緒にいたお気に入りのカフェで流れてきたアーティストの曲を同僚と聴いて気に入り、ライブのチケットを取ってみる
ーあのライブで知り合った心地よい人たちと一緒に聴いた音楽を友人にも知ってほしい
ー次の休みにパートナーと海へ行くとき、ドライブ中の曲はこれがいい。きっと会話もはずむはず
なんの計算もされていない自然に感じる「好き」という熱量は伝染して、同じ熱量をもった人との世界が広がるもの。
30代になっても、40代になっても、年齢関係なく、新しい音楽と出会ったときのワクワクする気持ちを忘れずに。
ぜひ、好きな場所で音楽を聴くときにはジャンル分けをせず、気持ちをリセットして新たな視点でその場を楽しむ意識をしてみてほしい。
目で見たことを自分なりの言葉で、正直に感じた気持ちを大切な人に話してみよう。
ピュアな想いから行動をおこした時間はいつまでも記憶に残り、これから先も大切な人との楽しい体験をつくっていくきっかけになってくれるはずだから。
竹内 亜希子 Akiko Takeuchi
-植物療法士(フィトセラピスト)
-女性の健康経営推進員
-健康経営エキスパートアドバイザー
幼少より10年間シンガポールで暮らす。
帰国後、会社員として働く中で余白時間を奪われる社会の渦に揉まれ、20代半ばに坐骨神経痛を一年患い、根本改善のためにストレスケアにフォーカス。食生活改善と植物療法を実践し、3ヶ月で完治。
植物療法士として、働く世代の女性の心身のセルフケア、ストレスやホルモンバランスの体の変化をコントロールできる体質づくりを指導。
オリジナルハーブティーブレンド 販売、カフェ等の店舗向けオリジナルハーブティー商品企画・提供、大切な人とのヘルシーな時間を追求するカルチャーメディア『Documentary Gift 』を運営。
現在は、ヘルスケア企業にて、健康保険組合や企業に向けた生活習慣改善プログラムの提供・運営や健康経営推進、中でも女性の健康づくりに注力。
働く女性にとっての「からだにいい生き方」や予防のための「セルフケア」を継続する暮らしのつくり方を伝えている。
趣味:日々の楽しみは、心打つライブと毎日調合するハーブティー、そして家族と食卓を囲う時間。