あなたには何もかも忘れて、一つのことにのめり込んだ経験はあるだろうか?
きっと、遡れば誰もが「YES」
忘れているかもしれないけれど、子供の頃はみんな思い思いに遊んでいたはず。
わたしが34年の人生を振り返った中ではじめて記憶に刻むくらいに夢中になったものはウォークマンとカセットテープだった。
これまで音楽はラジオ、アナログレコード、カセットテープ、CD、MD、MP3、Apple Music、インターネットと時代が流れ、好きなときに好きな音楽が聴けるようになっているから、きっとスマホ、タブレット時代に生きる現代からは、カセット時代がピンとこないだろう。
当時、小学生時代を過ごした1990年頃はカセットテープが主流で、そこから急速にCDへ移り変わり、みるみるカセットは姿を消していくことになったのに、なぜかカセットテープを聴いていた頃のことは今でも忘れられないくらい楽しかった思い出になっている。
思い返すとそれは、何にも邪魔されずに深いところまで自分の世界に「浸る」という重要な体験と記憶を残してくれていたからなのだと思う。
30年前、子供の頃にもらって一番うれしかったプレゼントのSONYウォークマンがくれた「浸る感覚」
最初に手にしたのは、たしかこんな形のモデルで薄いピンクのウォークマンだった気がする。
音楽が大好きでしかたがなかったわたしを見かねた両親がいつかの誕生日プレゼントにくれたのがウォークマンとの出会いだった。
はじめて音楽を持ち運びできるという嬉しさは、今や当たり前の時代には味わえない感覚だったと思う。
どこにいても、どんなときも聴ける幸福感。
‟なんて画期的な発明なんだろう”
そう幼い自分は感じていた。
「目の前の時間に夢中になる」「今感じるムードにどっぷり浸る」そんな状態は、このときのカセットウォークマンから覚えた感覚だ。
どこにいても流されずに、自分の世界に浸れる時間を自分の手でつくる。
そんな自分自身の世界を大事にして内側の感性を磨きつづけるアイデンティティ形成をしてくれたのがウォークマンだった。
ミックステープが教えてくれた内側を表現すること
今の時代から考えれば機能は驚くほど限定的なウォークマンは、当然持ち運ぶカセットテープの中身しか聴けないので、自宅を出る前にどんな気分の曲をもっていくかを考える必要があった。
せいぜい3枚程度をもっていくくらいで、飽きるかもしれなくても一生懸命テープを選んだ。
それはあの日のミックステープに自分が好きなものを詰めこんでいて、心から「好き」を伝えるシンプルなツールになっていたから、もっているだけでも友人とそんな会話ができたのだ。
ミュージシャンなら、言葉では説明が難しいことも自分のミックステープを聴いてもらえれば、何が好きで、どんなテイストのことがやりたいのかがすぐに伝わるものだ。
わたしたちだって同じだった。
何度も良いタイミングで曲と曲がつながるようにA面とB面を一生懸命ダビングして、カセットのケースについている紙に曲順を書いてラベルを貼っていく動作。
車で流すためのテープを作ったり、好きな曲で50分のベスト盤をつくったり、ラジオ番組を録音したり、それを友人や兄と貸し借りしたりするのが楽しかったのを覚えている。
テープをキュルキュルと巻き戻したり、早送りしたり。
この体験を大人になった今でも忘れずに大事にしまってきたわたしは、いつしか人と接するときに自分の好きな音楽のジャンルをシェアして感覚を確かめあうことをお互いのセンスの判断軸にしていた。
自分が楽しむだけじゃなく、自分の見ている感じている世界を人に話したい、表現したいという気持ちは現代のSNSシェア文化と同じだ。
今はお互いに良いと思うものをシェアしあって共感しあうことはあっても、テープやCD、ビデオといったリアルなモノを貸し借りする機会はほとんどなくなった。
借りたものを傷つけてしまったり、なくしてしまったり、お礼をしたり。
そんな共通のモノを通した楽しかったコミュニケーションも、自分の内側と向き合った自己紹介文を表現する練習のような体験だったと思う。
アナログな中から生まれるノスタルジックな感覚は未来に前向きになれる創作意欲と集中力を生む
よく、「物事への集中力が強く周りに気づいていない」と身内からいわれることが多いことに真剣に悩んだ時期があった。
でも、今考えると自分はその世界観にどっぷり入り込む感覚をウォークマンの原体験から得たのだと思う。
ウォークマンとわたしの音楽体験は本当にピュアなもので、メールや電話着信、ニュースに邪魔されない自分だけの世界をつくり音楽に集中できるというのは、まったく新しい体験だったのだから。
レコードと同じように、カセットテープをラジカセのデッキやウォークマンに入れると「カチャ」という音がして無音部分に「サー・・」というノイズが入る。
ノイズと音楽を聴くと、そこには行ったことがない場所にも関わらず、イメージを馳せるノスタルジック=望郷感があるのだ。
音源データで聴くようになった今も浸れる性格は残っていて、こうして記事を書くときも、人へのプレゼントを選ぶときも、何か感性を使わないとできないことをするとき...。
そのときの感覚に合った音楽を流すと、それがスイッチのように周りをシャットダウンできるゾーンに入れる。
「集中を阻害するものを徹底的に排除することが、わたしにとっては音楽を聴くことになっていて、たとえばオーダーを受けたハーブティーのブレンド作業をするときもレコードをかけながら行うことが多い。
ノスタルジーな空気とは、過去を懐かしむ感覚で表されるものだけれど「昔はよかった」という、ただ古いものではなく、幸せなことも辛かったことも笑って過去を振り返り、その記憶が自尊心を高めて、未来を明るく塗り替えることに役立つので、ポジティブな創作活動に集中させてくれる。
そして、その空気感に包まれながら生み出されたものは、あなただけが経験してきたイメージでしかないのだから、必ずほかの人とはどこか違うオリジナリティが注ぎこまれているのだ。
心の中心にあるピュアな想いはいつの時代も巻き戻しながら自分の力でアップデートしていくもの
自分自身が幼い頃からずっと大切にしてきた、ウォークマンとカセットテープに夢中になった思い出とともにある「ただただ音楽が好きだという気持ち」は時代が流れた今でも色あせることなく自分の中に棲みついている。
そうやって守ってきた感覚を持ちつづけたことで、今は自然と音楽を仕事にする夫と出会い、日常生活も音楽に包まれる人生を送っている。
ミュージシャンのパートナーからは、「常に一点へ進もうとする姿を見ていると自分が昔若い頃に音楽とがむしゃらに向き合っていた頃を思い出す」といわれたことがある。
たぶん、それは折れそうになるときも、音楽と自分の時間を大事にしてきたピュアな気持ちを常に心の中心に置き、好きなことに向きあうようにしているからだ。
いつだって迷いながらも、このノスタルジックな体験に想いを馳せながら前に進む。
そうやって支えられながら目の前のことに集中するからこそ、ポジティブな空気で真剣に夢中になる姿が人の目に写るのだろう。
昨年、結婚パーティーの際に、母親にはじめてウォークマンをもらったことの感謝を伝えた。
母がどう思ったかはわからない。むしろ、あげた側は親の立場だし、あまり覚えていないのもしれない。
「昔から好きな音楽を今も大事に、あの子らしく、その空間に囲まれて生きる人生を選んだんだな」そんな風に、わたしが大切に思っている生き方が伝わっているならそれでいい。
ぜひ、あなたもこれまで守ってきたピュアな思い出を巻き戻して力に変えて、どんなときも自分らしく前に進める、ノスタルジックな集中時間を刻んでほしいと思う。
竹内 亜希子 Akiko Takeuchi
-植物療法士(フィトセラピスト)
-女性の健康経営推進員
-健康経営エキスパートアドバイザー
幼少より10年間シンガポールで暮らす。
帰国後、会社員として働く中で余白時間を奪われる社会の渦に揉まれ、20代半ばに坐骨神経痛を一年患い、根本改善のためにストレスケアにフォーカス。食生活改善と植物療法を実践し、3ヶ月で完治。
植物療法士として、働く世代の女性の心身のセルフケア、ストレスやホルモンバランスの体の変化をコントロールできる体質づくりを指導。
オリジナルハーブティーブレンド 販売、カフェ等の店舗向けオリジナルハーブティー商品企画・提供、大切な人とのヘルシーな時間を追求するカルチャーメディア『Documentary Gift 』を運営。
現在は、ヘルスケア企業にて、健康保険組合や企業に向けた生活習慣改善プログラムの提供・運営や健康経営推進、中でも女性の健康づくりに注力。
働く女性にとっての「からだにいい生き方」や予防のための「セルフケア」を継続する暮らしのつくり方を伝えている。
趣味:日々の楽しみは、心打つライブと毎日調合するハーブティー、そして家族と食卓を囲う時間。